【子なしさんに聞いてきた】不妊治療を経験されたKさんのお話

ふたり暮らしコミュニティ 管理人のあおぱかです。

【子なしさんに聞いてきた】

今回、お話をお伺いしたKさんは不妊治療を続けたものの、費用や体調などの理由から子供を諦める決断をされました。

現在は、パートナーとふたり暮らしをされているKさんのこれまでの経緯や心境をご紹介させていただきます。

Kさんのプロフィール
  • 40代後半
  • 事務職
  • 不妊治療を続けたものの、体調や費用などを理由に子なしさんに
目次

不妊治療を経験されたKさんのお話

私は現在48歳です。

夫とは共通の友人を介して知り合い、3年の交際を経て2011年に結婚しました。

結婚当初は何の疑いもなく、子供はすぐに授かるものだと当然のように考えていました。

なので、まさかその後10年近くも不妊で悩むことになるとは夢にも思っていませんでした。

結婚後、1年以上経っても妊娠せず、年齢的にも30代後半になるので焦りも出てきて病院へ行く事を決意しました。

一通りの検査をした結果、私も夫も特に不妊の原因はなく、まずは医師の指導によるタイミング法から始めることにしました。

私としては医師に指定された日に絶対に頑張りたかったのですが、夫が性格的にあからさまに「この日で、、、」みたいに言われるのが嫌らしく、当時はそのことで何度も喧嘩しました。

それでも、タイミング法を何度か試しました。

しかし結果は出ず、人工授精へとステップアップとなりました。

人工授精とは、私の排卵のタイミングに合わせて夫の精子を子宮内に注入してもらう方法です。

自然妊娠に近いと言えば近いのですが、直接子宮内に精子を送り込んでもらうので受精の確率は上がります。

人工授精で妊娠できた方も沢山いると思います。

ただ、うちの夫がプレッシャーのせいなのか、毎回持っていく精子の状態が非常に悪く、毎回のように主治医に「一応やってはみるけど、多分無理だと思うよ」と言われて何度も泣きました。

もちろん、良い結果は出ませんでした。

こればかりは、精神的な要因も大きいので夫を責める事も出来ず、でもモヤモヤはずっと消えずで私も夫もかなりのストレスだったと思います。

人工授精を通常3~4回行っても妊娠しない場合は、体外受精へとステップアップするのが一般的な流れで、結局私たちもそのグループに入ってしまいました。

体外受精となると、一気に費用も高額になりますし、夫は難色を示していましたが私としてはもうそうするしかないと、どこか意地になっている部分もありました。

ちょうど私が不妊治療をしている時期、仲の良い友達が次々と妊娠していました。

しかも皆私と同じ年代なのに、自然妊娠でした。

不妊治療をしているのなんて私だけです。

友達の前では普通に笑顔で「良かったね!おめでとう!」なんて言っていましたが1人になると「何故私だけ妊娠出来ないの?こんなに頑張っているのに・・・」とネガティブな思考まみれでした。

ネット検索しまくって、闇落ちしてしまうこともしょっちゅうでした。

でも、体外受精だったら多分大丈夫だろうと何故か変な自信がありました。

体外受精の流れは、排卵誘発剤で卵巣を刺激して出来た複数個の卵子を採卵して持参した精子と容器の中で自然に受精させます。

そして何日間か培養した受精卵を子宮内の着床しやすい場所に移植してもらいます。

ただ、やはり夫の精子の動きがあまり良くなかった為、顕微授精に切り替わりました。

顕微授精は精子を直接卵子に注入するので、受精率はかなり上がります。

私は排卵誘発剤が結構しんどかったのですが、そのおかげで結構多めに採卵出来て、良いグレードの受精卵が何個か出来ました。

このグレードなら多分大丈夫だろうと主治医からも言って頂き、本当にホッとしました。

そして、2個の受精卵を移植しました。

もし、2個とも着床すると双子を授かることになります。

当時は夫と「双子だったら大変だよね~」なんて嬉しそうに話していたのを覚えています。

移植後、約2週間後ぐらいが妊娠判定日でしたが、その前に少量の出血がありました。

生理が始まってしまったという事だったのですが、当時は絶対にそうは思いたくなかったので、着床出血かもしれないと思い込ませていました。

判定日、病院の待合室で呼ばれるのを待っている間、緊張でどうかなってしまいそうでした。

待合室にいると、診察室から陽性判定をもらって喜んでいる患者さんの声が聞こえてきて、自分もあの仲間になれるのかな、、、と不安になっていました。

診察室に呼ばれ、結果は陰性。

主治医も「何でだろう・・・」と首を傾げていました。

どん底まで落ち込みました。

その日、家までどうやって帰ったのかも覚えていません。

移植できる受精卵がまだ2個あったので、再チャレンジしましたがそれもダメでした。

夫から、今後も顕微授精を続けるのは経済的に厳しいと言われていましたので2回目の判定結果の後、主治医にまた人工授精をして欲しい旨を伝えたところ、

ものすごく冷たくて悲しくなる事を沢山言われました。

本当にその言葉が辛すぎて、診察室を出て号泣しました。

医者は不妊治療をしている人全員に寄り添うなんて無理だし、ドライな部分がないとやっていけないのは理解しています。

でも、当時の私には痛すぎました。

あれ以来、その病院には行っていません。

顕微授精でも妊娠出来なかったのは私も夫もショックではありましたが、まだ子供が欲しい気持ちは大きかったので、病院には行かず自分たちで自然に頑張ろうという事になりました。

その後、不妊治療中に蓄積されていたストレスのせいなのかパニック症状のような発作が出るようになって大変な時期もありました。

その間も毎月の排卵日に合わせて頑張ってはいましたが、毎月必ずきてしまう生理が憎くてたまりませんでした。

そんな生活が5年程続いた頃、予期せぬ事態が起こりました。

私の乳がんが発覚したのです。

幸い、発見は早い方ではありましたが、手術後の治療で卵巣がかなりダメージを受けますし、再発防止の為の薬を最低でも5年飲む必要がありました。

その間は妊娠は出来ないので、もし希望するならば治療前に卵子を凍結保存する必要があります。

しかし、5年後となると私も50歳です。

普通に考えるとそこからの妊娠は絶望的です。

45歳になった時、「もうそろそろ子供は諦めるべきなのか、、、」と思ってはいましたが、その反面生理がある間はまだ望みはあるとも思っていました。

言葉には言い表せないぐらい辛かったです。

とにかく、夫に申し訳なくて泣きながら謝りました。

でも夫は、子供よりも私が生きていてくれる方が大事と言ってくれました。

その言葉に本当に救われました。

こういう事情があり、私たち夫婦は強制的に子供を諦めざるを得なかった部分は大きいです。

ただ、今はとても気持ちが楽になり楽しく過ごせています。

冷静に考えてみると、少なくとも私は子供が欲しいというよりも、結婚したからには子供を作るのは当たり前であり、そうしないと夫の親にも合わせる顔がないという考えが強かったと思います。

病気にならなければ、もしかしたら現在も子供を作ろうと必死になって神経をすり減らしながら生きていたかもしれません。

もちろん、今でも子供が居たらどうだっただろう・・・と思う時もありますが夫と愛猫との生活はとても充実して幸せです。

きっと、子供がいる人もいない人もそれぞれに違った良さがあるのだと思います。

色々と辛い経験もありましたが、大切な事にも沢山気付けたので、不妊に悩んだことは私の人生に大切な事だったのかもしれません。

今現在も不妊に悩み、心身共にボロボロになりながらでも必死に治療を頑張っている方たちが沢山いると思います。

本当にその気持ち、痛い程わかります。

でも、疲れた時は少しでも良いので立ち止まってみる事も大事です。

そして、可能であれば誰か1人でも良いので辛い気持ちを吐き出せる相手を見つけてください。

1人で抱え込んでしまうと、気付かないうちにどんどんストレスは溜まっていきます。

私の経験が少しでも同じ様に悩んでる方の心に寄り添う事が出来れば嬉しいです。

おわりに

ここまで読んでいただきありがとうございました。

そして貴重な経験をお話しくださったKさんに改めて謝辞を申し上げさせて頂きます。ありがとうございました。

長い時間と多額の費用が必要な不妊治療の経験を前向きに捉え、自分らしい生活をパートナーと楽しむKさんを私も見習いたいと感じました。

さて、当ブログでは『子なしさん』のエピソードを不定期ではありますが、更新していきます。

自分と違う誰かの経験が、日頃の不安や悩みの解決のヒントになるかもしれません。よろしければ他の記事も読んでみてください。

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